マリア様がみてる萌え落語
「紙入れ・山百合版」


「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 さわやかな朝の挨拶が、澄み切った青空にこだまする。マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
 汚れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒などいようはずもない。
ここは私立リリアン女学園。
 明治三十四年創立のこの学園は、元は華族の令嬢の為につくられたと言う、伝統あるカトリック系お嬢様学校でございまして。
 えー、この東京都下、武蔵野の面影を未だ残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、幼稚舎から大学までの一貫教育が受けられる乙女の園。
 時代は移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今でさえ、十八年間通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、と言う仕組みが未だ残っている貴重な学園でございます。
「どうしたの瞳子ちゃん、手紙読んだ?」
「はい、祐巳さま、手紙読んで飛んできました! これは一体どういう事ですか?」
「そう、いえ、お姉さまがね、今日は令さまとお出かけで、薔薇の館に来ないの。まあ考えてみたら私と瞳子ちゃんとで、今までゆっくりした事がないし、たまには、あんなことやこんなことをと思って居たのよ。うふふ…。だから朝まで良いよね? 瞳子ちゃん」
「な、何言ってるんですか祐巳さま! そんなのダメに決まってるじゃないですか! 誰かに見つかって、祥子お姉さまの耳に入ったらどういうことになると思ってるんですか!」
「ちょっと待ってよ、瞳子ちゃん、こう言う事を人に喋る? 喋りゃしないでしょう。私だって大っぴらにできる事じゃないし、喋ることはないじゃない。志摩子さんや由乃さんにもそれだけの事はしてあるし、瞳子ちゃんが喋らないで、私も喋らないでどうして分かるの…。分からなきゃいいじゃない?」
「分からなきゃいいというものじゃないですよ! こういう事をしている事が祥子お姉さまの顔に泥を塗って…」
「ちょっと待って。祥子お姉さま、祥子お姉さまって、あなたを引き立ててくれるのは私が影に回って、瞳子ちゃんはいい子ですよって、そう言っているのを瞳子ちゃんだって知っているじゃないの。分からなければいいじゃないの。お姉さまはね、よそでお楽しみがあるの。そんなことは私は百も承知しているし、面と向かって妬いたこともないし。お姉さまはいいが妹はいけないって法はないでしょう。分からなければいいじゃないの。だからさ、あなたに他にいい人が出来たら、その時はきれいに別れてあげるわよ。だからいいでしょ瞳子ちゃん」
「でも、そんな事ははよくないと思うんです!」
「おかしいわね、どうしたの? はあはあ、瞳子ちゃんあれね、私が嫌いなのね? 何よ、それならそうとはっきり言えばいいじゃない。ええ、私はね、そんな言い方をされたら面白くないよ。何よ祥子お姉さま、祥子お姉さまって、ああ、こうなりゃ私もやけだ、どうすると思う? タヌキ娘はやけになったら恐いぞ、お姉さまにみんな喋っちゃうから、嫌だ、嫌だって言うのに押さえ付けて無理やりに…」
「そんな事してませんよ!」
「バカねぇ、そんなこと言うわけがないじゃないの。こっちにお出でよ。赤マムシが置いてあるのよ。鰻パイが好きだったでしょう? 用意してあるの。良いからこっちにおいで…」
 なんて、瞳子ちゃん、赤マムシを飲んで気が大きくなる。鰻パイを食べて精をつけて、ヒソヒソ話をしているうちは良かったが、いつしか、これがすすり泣きに変わろうという。よく聞くと、猫の水飲む音でなし。今、二人が一つになって、頂点に上り詰めようという所へ
「トントン、トントン、祐巳、私よ。トントン、トントン、祐巳開けて、私よ」
「エ、瞳子ちゃん大変よ! お姉さまが来た!」
「わぁ、わぁ、わぁ、どうしましょう!」
「何をしてるのよ。グルグル回って、糞詰まりのパグじゃあるまいし、制服を持って、忘れ物はない? そっちへ行っちゃ駄目よ、こっちへおいで!」
 こう言う時はまあ、ええ、受けよりも攻めの方が落ち着いているもんで…。ましてドリルはだらしがない、キャミソール一丁でウロウロするだけ。タヌキの方は開き直ったりなんかして。「しょうがないですよ、見たとおりですよ、なるものはなっちゃったんですから…。うっちゃっとくのが悪いんですよ。私だって生身ですもの、え、ですから、ぶちたければぶってください。いくらぶってもかまわないですよ。それで気が済むんでしたら。それともどうです、機嫌直して三人でやりましょうか」なんて、それは冗談として。
 瞳子を窓から逃がしておいて、自分は机に突っ伏していた心で…。
「ごきげんようお姉さま。ちょっと眠くて横になっていたんです、いや、私が閉めます。お茶になさいます? 何か食べられます?」

「あ、あ、驚いた、だから嫌だってそう言ったのよ。こう言う事になるのは分かっていたのよ。危なかったわね。間一髪ってやつよ。アア驚いた。祐巳さまが靴を裏に廻してくれてあって、助かったわ。一つ間違えばキャミソール一枚で祥子お姉さまとぶつかっちゃうんだから。「わ、瞳子ちゃん何なのその格好は…?」マラソンの途中ですって言う訳にはいかないもんな…。あぁ嫌だこういう事は分かっていたのよ。もうよそう、これで行かなければいいんだ、ええ、良かったわ、靴が裏に廻してもらってあって。靴は間違えないと…、ええ、ドリルは付いてるし、ええ、バッグは…。ああ、大変だ、紙入れを置いて来ちゃった。祥子お姉さまに貰った紙入れなのに…。見れば分かるもんなぁ…、弱っちゃったな…、ああもう駄目だ。逃げようかな、今から逃げれば随分遠くに行けるからね…。聖ミアトル女学園くらいまでは逃げられそうね。…でも見付かってないのに、逃げるのも悔しいね。どうしたの瞳子ちゃんは? ああ、知りませんねってんじゃ面白くないや、そうだ。明日の朝行ってみよう。おはよう御座います。で、瞳子ちゃんのバカっ! って言ったら、ごめんなさいて謝っちゃおう、謝ると言う事は私が悪かったと言う事。私が悪かったと言う事を祥子お姉さまに言うことは、良い事よ、そうだ私の考えは正しいんだ」
 正しくも何ともありませんが…。家に帰って寝ようとすると妙な夢見て、魘されて、目が覚める。
「ああああ、何だってこんなっちゃったんだろうな、祐巳さまがいけないのよ、先月よ、誰もいないからお入りなさい、雷が鳴っているから怖いのよ、瞳子ちゃんお入りなさい。雨が上がって、雷が遠くに行っちゃって、出ようとすると、まあいいじゃないの。お相撲を取りましょうよ。変なこと言ったよね、女同士で相撲はおかしいですよ。そんな事はないわよ。私はお相撲強いのよ。私は東、あなたは西よ、いいわね。ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ、ノコッタ、ノコッタ、あびせ倒しで負けちゃったんだよね。上へ、覆いかぶさって来たからね。嫌だと思って払いのけようと思ったけど、良い匂いがしたから、ア、フウウて抱きついちゃった。ああ寝られないな…」

寝られる訳が無い。夜が明けると家を出て、薔薇の館の前を行ったり来たり、行ったり来たり、
「誰? うろうろしているの? え、誰? 入ってきなさい?」
「お早う御座います」
「な、何がお早う御座いますよ…。この子は!」
「す、すみません! みんな私が悪いんですから、もう二度としませんから、許して下さい」
「当たり前よ。人を何だと思っているのよ。ええ、どうしたのよ、本の続き、神聖モテモテ王国の続きよ。持って来る持って来るて、ちっとも持って来ないじゃないの!」
「ああ、本ですか」
「本ですかじゃないわよ、約束に大きいも小さいもないわよ。今度持って来てよ。それはそれで良いわ…。どうしたの、こんな朝から、ええ‥、喧嘩でもしたの? 喧嘩じゃありません? いじめ? ええ、そうじゃない? じゃ何…? 徹夜で勉強して眠い? ええ、違います? 何よ。何があったのよ。話してみなさいよ。何があったのよ。後は瞳子ちゃん、残るのはこれじゃない。これ? ああ、いいじゃない、いいじゃない、若いうちよ、いいわよいいわよ! で、相手は誰なの? 上級生、下級生、同じクラス? 誰よ。話してみなさいよ、私が聞いて最もだと思えば、まとまるものだら、まとめてあげようじゃない。誰なのよ。誰でも構わないけれども、一つだけいけないものが有るわよ、人の持ち物。え、人のスール? 馬鹿ねぇ、よしなさいよ瞳子ちゃん、添えられっこないんだから、人のスールと枯れ木の枝は上り詰めたら先がないって言うのよ。まったくそれはよした方が良いわよ。どうしたのよ」
「大変にお世話になっているお姉さまの妹なんです」
「ああ、よくあるパターンよ。それで」
「今日はお姉さまが来ないから来いって手紙をもらったから…」
「で、行ったの?」
「よろしくやっている所へ、その日は来ないはずのお姉さまが来ちゃって…」
「馬鹿ね、グズグズしているからそんな事に成るのよ。見つかったの?」
「見ましたか?」
「何よ見ましたかって‥、私が聞いてるのよ」
「窓から逃げたんです」
「じゃいいじゃない」
「あの忘れ物しちゃったんです」
「何を…」
「祥子お姉さまに貰った紙入れを…」
「あれ、あれは瞳子ちゃん、新しいのよ、まぁそれは諦めればいいわよ、それで…」
「今日来いって、手紙が入っているんです」
「そんな物、読んだら捨てちゃえばいいじゃないの。それで、読まれたの?」
「読みましたか?」
「また言ってる。私が聞いてるのよ」
「それも読まれたのではないかと思って‥。昨夜は一晩中寝られなかったんです」
「何を言ってるのよ、この子は、ええ、祐巳ちょっと来なさいよ。イヤ、瞳子ちゃん、若いと言えばそれまでだけど、どこかのお姉さまと出来たらしいのよ。で、手紙貰ったんだって。で今日、お姉さまが来ないから来いって、ノコノコ行ったらしいのよ。それで、よろしくやっている所に、来ないはずのお姉さまが帰って来て、窓から逃げたんだって。それで忘れ物したんですって紙入れを。その中に今日来いって言う手紙が入っているんですって。それをそのお姉さまに読まれたんじゃないかと思って、真っ青になってるのよ。祐巳も何か言ってやりなさいよ」
「瞳子ちゃん、瞳子ちゃんてば、まあ、あなたもうぶねぇ、その人は何でしょう、お姉さまの留守に後輩を引っ張り込んでオイシイ事をしようという人なんでしょう、まあ、私はそのへんはぬかりはないと思うけどなぁ。考えてごらん。あなたを窓から逃がしたんでしょう。すぐ開けるかな? 私は開けないと思うな、忘れ物があったら大変、ええ、周りを見ると言うと紙入れが有る、中に手紙が入っている、そんな物を読まれては大変だと思えは、自分でしまっておいて、今度あなたが来た時に影でそっと渡すと思うよ。まあ、私はそんな心配は無いと思うけど。そうでしょうお姉さま?」
「ええ、そうよそうよ。仮にそこに紙入れがあったって、自分の妹を取られて分からない間抜けな人よ。そこまでは気がつかないでしょう」


解説

元ネタは古典落語「紙入れ」。
若い商人が、得意先の職人に贔屓にされるだけでなく、そこのおかみさんと出来てしまう、という噺で、昔はそう珍しくなかった出来事らしい。

代表的な艶笑噺で内容もスリルがあり面白く、高座に掛かるに事も多い。
ただ内容が内容だけに子供の前で演るのはあまり好ましくない噺でもある。
実際寄席でこの「紙入れ」を演ったら子供づれの親から苦情が来た、という話もある。
なお、この「紙入れ・山百合版」は本来の「紙入れ」と設定を変えただけで噺の中身はほとんど変えていない。というか変える必要がない(笑)。

「紙入れ」独特の際どさはストパニのほうがよりふさわしいが、マリみてでも充分楽しめると思う。祐巳が瞳子相手に攻め側に廻るというのもなかなか面白い。

もちろんストパニ・マリみてだけでなくほかの百合作品とのコラボもしやすい便利な噺である。

いずれにせよ本来の「紙入れ」や「紙入れ・いちご舎版」と比べると大変楽しいと思う。


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