マリア様がみてる萌え落語
「スール」


「ごきげんよう」

「ごきげんよう」

 さわやかな朝の挨拶が、澄み切った青空にこだまする。
マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、背の高い門をくぐり抜けていく。
 汚れを知らない心身を包むのは、深い色の制服。
 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻らせないように、ゆっくりと歩くのがここでのたしなみ。
もちろん、遅刻ギリギリで走り去るなどといった、はしたない生徒などいようはずもない。
ここは私立リリアン女学園。
 明治三十四年創立のこの学園は、元は華族の令嬢の為につくられたと言う、
伝統あるカトリック系お嬢様学校でございまして。
 えー、この東京都下、武蔵野の面影を未だ残している緑の多いこの地区で、神に見守られ、
幼稚舎から大学までの一貫教育が受けられる乙女の園。
 時代は移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今でさえ、
十八年間通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、と言う仕組みが未だ残っている貴重な学園でございます。


えー、昔から『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』なんて事を申します。
ところがこの、目上の方にものを尋ねにいった時、その方がイタズラ心でもって間違った知識を教える事がある。
でまたこれを鵜呑みにしてしまった人がその間違った知識をあちこちで自慢してしまう。
こういったちょっと間抜けな事が落語の世界ではよくあるようでして。


「おや、そこにいるのは祐巳ちゃんじゃないか」
「あ、聖さま。お久しぶりです。今お帰りですか?」
「うん、そう。ところで祐巳ちゃん今から暇?」
「はい、私も今帰るところですし特に用事もないですから大丈夫ですよ」
「そりゃ良かった、じゃあちょっと面白い話があるんだけどそこのベンチで話さない?」
「面白い話? 何ですか?」
「まあまあまあ、とにかく座って」
「はい」
「えーさて、早速ですがここで祐巳ちゃんに問題です『スール』って言葉の語源は何でしょう?」
「へ? 『スール』の語源ですか? そんなの知ってますよ。フランス語で『姉妹』って意味ですよね? 聖さまもしかして私がそんなこと知らないと思って馬鹿にしてるんですか?」
「…ふーん、本当にそれが正解だと思う?」
「違うんですか?」
「私が質問してるの。どう?」
「…正解だと思いますよ。リリアンの生徒なら誰でも知ってる事じゃないですか」
「うん、そう。それが畜生の浅ましさ」
「な、何ですか畜生って」
「だって祐巳ちゃんタヌキじゃん」
「下らない事言わないで下さい!」
「八畳敷きだし」
「私は女の子です!」
「まあそれはそれとして。『スール』の語源、祐巳ちゃん知りたいかい?」
「はい、知りたいです」
「今日中に?」
「…出来れば今日中にお願いしたいですねぇ。『スール』の語源聞くのに3泊4日ってのは長すぎますからねぇ。修学旅行行くんじゃないんですから」
「そうか、じゃあ教えてあげよう。なぜ『スール』は『スール』と言うのか。祐巳ちゃん良くお聴き。リリアンが創立してまだ数年の明治のとある年の暮れの日の朝。ある一人の生徒が校門から『スーーーーー』と歩いてきてマリア像の前でぴたっと止まった、するとそこにある下級生が『ルーーーーー』と歩いて来てぴたっと止まって、その後ふたりは姉妹の契りを交わした。だから『スール』だよ」
「……え? …聖さま、今何か言いました?」
「いや、あのねぇ祐巳ちゃん、こういうことは何度も言わせるもんじゃないよ。もう一度しか言わないからよーくお聴き。リリアンが創立してまだ数年の明治のとある年の暮れの日の朝。ある一人の生徒が校門から『スーーーーー』と歩いてきてマリア像の前でぴたっと止まった、するとそこにある下級生が『ルーーーーー』と歩いて来てぴたっと止まって、その後ふたりは姉妹の契りを交わした。だから『スール』だよ」
「………ぷっ。え? そう、そうなんですか。あ、そうですか。はい。どうも、ありがとうございました。さよなら」
「あれ? どうしたの祐巳ちゃん。もうちょっとゆっくりして行かない?」
「いや、ちょっと急用を思い出しまして。ではまた今度ゆっくりお話しましょう。さよなら」


「あはは、ホント聖さまって面白い人だね。ちょくちょく会わないといけないね。…これ誰かに話してみたいなぁ。誰がいいだろう。あ、瞳子ちゃん! あの子ツンデレだからいつも私にきつく当たるんだよね。こういう時でないと先輩ぶれないもん。よーし明日やってやろう!」
 なんてんで、まあバカな娘がいたもんで。


「瞳子ちゃんいる?」
「いません」
「…いない人が返事する訳ないでしょ! わざわざ教室まで来てあげたのにもうツンツンしてらぁ。瞳子ちゃんあれ知ってる?」
「知ってます」
「まだ何も言ってないってば。本当に…。いい加減にしないとそのドリル、サンマルクカフェで売り飛ばすわよ?」
「何を訳の分からない事言ってるんですか! 一体何しに来たんですか?」
「あ、そうそう。瞳子ちゃん『スール』って言葉の語源知ってる?」
「はい? 祐巳さま私の事馬鹿にしてるんですか? フランス語で『姉妹』って意味ですよね。それがどうかしたんですか?」
「ふっふっふ。それが電動工具の浅ましさ」
「…殴りますよ?」
「まあそれはそれとして。『スール』の語源、瞳子ちゃん知りたいでしょ?」
「別に知りたくありません。私今忙しいんです」
「忙しいって、瞳子ちゃんただ乃梨子ちゃんの縦笛握り締めてニヤニヤしてるだけじゃない」
「してませんよそんな事! 映像がないからっていい加減な事言わないで下さい!」
「そういう訳だから、新聞部に『一年椿組の松平瞳子さん、思い詰めてとうとう同級生の縦笛に手を出す』って記事書かれたくなかったら大人しく『スール』の語源を聞きなさい、くっくっく…」
「後輩脅して喜んでるわこの人…。分かりました、聞きますよ!」
「最初からそう言えばいいのよ。じゃあ教えてあげるね。なぜ『スール』は『スール』と言うかっていうと。瞳子ちゃん良くお聴き。リリアンが創立してまだ数年の明治のとある年の暮れの日の朝。ある一人の生徒が校門から『スーーーーーール』と歩いてきてマリア像の前でぴたっと止まった、するとそこにある下級生が………。…………………………………………………………………………………………………?」
「下級生がどうしたんですか?」
「いや、それが、ね…。下級生が…。…オホン、瞳子ちゃん落ち着きましょう」
「落ち着いてますよ私は! 何なんですか?」
「だからね、その…………さよなら」
「な、何なのあの人は?」


「(半泣きで)聖さまぁぁぁ! どうして『スール』は『スール』って言うんですかぁ?」
「………? あ! もしかして祐巳ちゃんそれどこかでやって来たね? もうしょうがないねぇ。じゃあもう一回だけだよ本当に? よーくお聴き。リリアンが創立してまだ数年の明治のとある年の暮れの日の朝。ある一人の生徒が校門から『スーーーーー』と歩いてきてマリア像の前で……」
「あ、そうでしたそうでした! ありがとうございました! さよなら!」


「瞳子ちゃんいる?」
「な、また来たんですかこの人は! 何の用ですか?」
「いや、だからなぜ『スール』は『スール』と言うかっていうとだよ?」
「まだやってるんですか! 本当に暇な人…」
「いいから聴きなって! なぜ『スール』は『スール』と言うかというとね? 瞳子ちゃん良くお聴き。リリアンが創立してまだ数年の明治のとある年の暮れの日の朝。ある一人の生徒が校門から『スーーーーー』と歩いてきて、マリア像の前で『ル』と止まった! するとそこにある下級生が……。……………………………………………………………………………………………………………………あれ?」
「またそこで止まりましたね? 下級生がどうしたんですか!」
「いや、その……。黙ってやってきた」


解説

元ネタは古典落語「つる」。
「青菜」と同じで何かを見たり聞いたりした主人公が同じ事をしようとしてしくじるという「おうむ返し」という手法をベースにした噺です。
実に単純な構成ですが、それがまた面白い噺でもあります。
ちなみに私が初めてまともに聴いた落語が桂歌丸師匠の「つる」で、子供心に「落語って面白いなぁ」と思いました。私にとって実に記念碑的な噺であります。
なお、この『スール』の文章を読んだだけでは祐巳が聖さまから教えられた『スール』の語源を信じ込んで瞳子に話したのか、それともでまかせと分かっていながらネタ話として瞳子に話してやろうと思ったのかは判断しかねるところだと思いますが、実際の「つる」も噺家によって前者にしたり後者にしたり設定が分かれるところでもあります。


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